宮城旅行 一日目 その5 多賀城跡・東北歴史博物館(多賀城市)

3月23日(土)、24日(日)の宮城県旅行の続きです。


前回まで

H25.7.23 「宮城旅行 一日目 その1 伊丹空港から仙台空港へ」
H25.8.3 「宮城旅行 一日目 その2 JR利府駅(宮城郡利府町)」
H25.8.4 「宮城旅行 一日目 その3 塩竃神社(塩釜市)」
H25.8.19 「宮城旅行 一日目 その4 志波彦神社(塩釜市)」






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イオンタウン塩釜内で昼食を終えてから、レンタカーを多賀城市の特別史跡・多賀城跡へと走らせます。


多賀城は、西暦724年(神亀元年)に築城された、奈良・平安時代の国府・鎮守府として機能した城で、8〜10世紀にかけて存在したとのことです。

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駐車場から南へ。

政庁跡。

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「後村上天皇御坐之處」の碑が。
後村上天皇と多賀城とのつながりについて、初めて知りました。
後村上天皇は建武の新政に際し、この地で親王に即位したのですね。

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政庁跡の復元模型が。

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南北大路跡を南に降りていきます。

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道路を挟んで処に、多賀城碑が。

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762年(天平宝字6年)に多賀城の修築記念に建立されたとされていますが、「贋作」との説もあるそうで。

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はっきり言って、何が書いてあるか、私には読めませんでした。



その後、近隣の東北歴史博物館へ。

バブルの名残を感じさせるデザインです。

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敷地内には「今野家住宅」が移設展示されています。

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博物館に隣接して、JR東北本線の国府多賀城駅がありました。
駅周辺には住宅も多いのですが、土曜日の夕方の駅改札内は静まりかえっていました。

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運賃表の路線図に「列車代行バス運転区間」「BRT区間」が表記されていました。
現在の宮城県が今も震災からの復興の途上にあることを改めて感じました。

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駅近くには震災復興の仮設住宅も設けられています。



続きます。
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tag : 各駅探訪 小紀行 鉄道

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非公開コメント

こんにちは

被災地区の運賃表は
そのようになっているのですね。

代行バス区間がまだ残っていますが、
それでも、だいぶ復旧しているのだと、感じました。


そして、その地区の石碑は

公称では
何度もあった、地震やつなみに耐えて、
存在しているのだと考えると、

この石碑のように、
ずっと残っていける土地の場所とは・・・。

と、考えてしまいました。

ありがとうございました。

TageSP様、こんばんは。
コメントありがとうございます。

>代行バス区間がまだ残っていますが、
それでも、だいぶ復旧しているのだと、感じました。

BRT化された区間は残念ですが、仙石線・石巻線の運転休止区間は
着々と運行再開へと向かっているようですね。


>この石碑のように、
ずっと残っていける土地の場所とは・・・。

仮にこの石碑が1200年以上存在するものだとしたら、その間の
多くの天災や戦災をくぐり抜けてきたことになるのですね。
多賀城という政庁のそばにあったことを思えば、実存が奇跡なのかも
しれません。
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